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【<幸せ>より<不幸>を恐れる】

  【<幸せ>より<不幸>を恐れる】

 

あくまで私の私見ですが、人は<幸せ>より<不幸>を恐れるようです。

霊感商法などで高い壺やお札や水晶を買う動機は、「幸せになれる」と言われた

からではなく、「不幸がおとずれる」とか「不幸の原因を取り除くため」と言われたからのようです。

人は<幸せ>になると言われても、何が自分の幸せかピンとこないし、人は現状がそれほど悲惨でなく普通に生活できていたらその生活に満足して、わざわざ幸せを求めようとしない。「幸せになれる」は、それほどリアリティがありません。

しかし、<不幸>になるという言葉にはリアリティがあります。私たちの人生はいろんなことが起こっている。階段を踏み外してけがをした。子どもが重い病気にかかった。仕事先でしくじった。試験に失敗した。夫婦関係がうまくいかない、などなど。人の数だけ不幸がある。小さなものまで加えるといっぱい経験しています。

だから、高い壺、お札、水晶、家庭を破滅させる多額の献金は<不幸>にならない代償としてはそれほど高くないと錯覚に陥るのではないでしょうか。これから襲ってくる<不幸>を回避できるなら・・、と思ってしまう。しかも、<不幸>は人の数だけある。これでもか、これでもか、とリアリティを持って迫ってくるのです。<不幸>が回避できないのはまだまだ献金が足りないからだと思わせておけば次から次に献金は入ってくる仕組みのようです。

人生のすべてが<不幸>だらけではない。ときには<幸せ>の出来事もある。

すると、<不幸>の言葉をたたき込まれた人は当たり前の<幸せ>が高い壺、お札、水晶のおかげだ、と勘違いしてしまうのかも知れません。霊感商法はうまくできた悪徳商法です。

 

「あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています」(ペトロの手紙一5章8節)        (牧師)