『転入会の証し』

 

 

 

                                                           女性

 

 

 

私は今まで国内外18回以上引越しをしています。子供の頃は幼馴染がいる人のことを羨ましく思っていました。6年生の3学期だけ引越し先で過ごしてあまりよく知らない同級生たちと卒業したこともありました。

 

 

 

就職は日本国内の会社の面接見事に全部落ちたのですが就職活動をする友人から勧められて受けた馴染みのないシンガポールの会社に受かったのでシンガポールで就職しました。

 

そこで主人の○○○に会い、○○○のクリスチャンファミリーが通う教会についていくうちに聖書と出会い、そしてイエスキリストを私の主、救い主と受け入れバプテスマを受けました。

 

 

 

そして結婚し、子供を授かり普通の生活をしていましたがふと自分の中で飢え渇きを感じていました。このままこの国に骨を埋める覚悟で結婚したはずが、息子の○○○の中には日本人とシンガポール人の血が流れているんだ、と思った時どのように子育てをすればいいか急にわからなくなってしまったのです。

 

シンガポールでの生活は日本人が多い地域ではなく周りはシンガポール人が多い地域でした。聖書も教会も全て英語でしたので日系スーパーで月1回手にする日本人向けのフリーペーパーを隅から隅まで大事に読んでいました。

 

そしてある日ふと目に止まった言葉がマタイの福音書11章28節の‘疲れたもの、重荷を負うものは誰でもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう’という言葉とシンガポール日本語教会という文字でした。

 

私はすぐに電話をし日本語教会に家族で通い始めました。日曜の朝は今まで通っていた教会、ランチと休憩をはさんで午後4時からの日本語教会での礼拝が始まり私たちにとってそこは神の家族のいる場所となったのです。

 

 

 

そして数年後、私は大きなチャレンジに会いました。それは創世記の22章にあるアブラハムが神様に試され‘あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤで焼き尽くす捧げものとしなさい’という箇所を夢の中で2回、そして立て続けに教会のメッセージで1回聞いたのです。そこで私が子供に目を向けすぎて結婚生活をおろそかにしていることに気付かされたのです。

 

私は数日どうして良いかわかりませんでしたが主に‘私よりあなたの方が完璧なお方で私は息子を預からせてもらっているものに過ぎません。息子をあなたに託します。どうぞあなたが面倒をみて下さい’。とお願いしました。

 

平安がありました。不思議なことにそれから○○○の仕事で次々に国外の引越しをするたびに○○○はシンガポールの幼稚園、日本の公立小学校3年間、アメリカンスクールと学校を代わり私の子供の頃と同じような経験をさせましたがその度に主が私たちに神の家族を与えジョンの成長とともに教会学校の兄弟姉妹を与えてくださったのです。

 

2013年に日本に来て、○○○はアメリカンスクールに2年通って卒業し、シンガポールの兵役に2年徴兵されましたが、その間も○○○が赤ちゃんからお世話になったシンガポール日本語教会に通い神の家族に助けられ、現在はボストンの大学に通っています。

 

親を離れてもあの時約束したことを神様はちゃんと守って下さっていて息子に神の家族を与えてくださっています。

 

私たちには限界があります。子供達は成長し、いつか親元を離れます。私たちの役割は子供に神の御言葉を伝えること、神の家族の紹介することです。そうすればこの世の中で神様と共に歩める人生が送れるのです。

 

‘わたしの子よ、焼き尽くす捧げ物の子羊はきっと神が備えてくださる’

 

創世記22章8節

 

 

 

船橋に引越して来たのは去年の11月。神様の導きでここ船橋バプテスト教会に通い始めましたが4月からこうして子供礼拝を始められることになったのも不思議で仕方ありません。

 

詳細を話すと明日になってしまうほど神様のなさる御業は素晴らしく、自分の人生を主に託して生きるほど平安なことはありません。神様の御言葉を通して私は強められ、振り返って初めてそこに神様の足跡があったことを多々気づかされています。

 

 

 

今までどこに引越しても国境を超え人種を超え主が神の家族を与えて下さっています。

 

‘見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。’

 

詩篇133編1節

 

 

 

私はここ船橋バプテスト教会でも子供礼拝を通して子供達に御言葉を教えられる機会を与えて下さった主に感謝しています。

 

 

 

イエスキリストがはっきり言っています

 

‘渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい’

 

ヨハネによる福音書7章37節

 

神様はどなたにでも命の水を与えて下さいます。

 

 

 

‘わたしは世の光である。わたしに従うものは暗闇の中を歩かず、命の光を持つ’

 

ヨハネ8章12節

 

神と共に生き、心に平安を持てることほど喜ばしいものはありません。

 

 

 

感謝。

 

 

 

 

 

2018.5.6.

 


『 信仰告白 』

 

私が最初に、こちらの教会に伺ったのは昨年の1225日のクリスマスでした。

 

娘がバプテスマを同じ日にシンガポールの教会で行うので、せめて近くの教会で、一緒に祝福をしたいと思う一心でした。

 

昨年の春、娘がシンガポールに留学した時に、現地のホストファミリーの○○さんと○○さんご夫妻の信仰する教会へ行き、神様に感謝の祈りをする事を進めました。ご夫妻は7年前から私達がクリスチャンになる事を祈って下っていた事を知っていました。

 

その時は、宗教を限定して拘って居なかった私達は、郷には郷に従えで、一番お世話になっている方の信じる神様に感謝する事が良いと思いました。

 

  また、シンガポールには神社が無い事が幸いしました。

  私の実家は神道です。氏神、伊勢神宮を参拝します。お墓は仏教、一般的な日本の家庭です。そして、母は、神道と仏教を頑なに信じ、ある宗教団体に所属し、その信仰を深めています。以前は、私も母と一緒に、そちらの会に行っておりました。裕福な時はとても歓迎されていました。しかし、不幸や試練が訪れると先祖の因縁、御供養が足りない、業が足りたいと、自己の行いが悪いと責められ、試練が起こることは恥かしい事と自分を責め、生きるのが苦しくなりました。み教え自体は責める文は有りません。自我が渦巻き、解決に迷う関係しか築く事が出来ませんでした。そして、子供達に対する暴言と嫉妬に耐えられなくなり路頭に迷いました。世間は、不幸が起きると、罰が当たったと言います。因縁で同じことを子供達が起こすと言います。貧困で不幸にあった子供達は努力し功績をあげれば、裕福な方々に嫉妬され罵られます。成長期に子供達は理不尽な想いをどれだけ受けた事かわかりません。

 

それからは、子供たちと私は、ただ神様に、生かされて居る事の感謝とそれぞれが相応しく導きがある様にとだけ祈ってきました。何度も夜道をさ迷いながら、私の命は要らないから子供達を救って欲しいと祈ったかしれません。

そんな時も、神様は私達親子を見捨てず助け船を与えて下さいました。

 家を貸して下さった○○さんは、そんな私達を見守って下さっていました。心か感謝しています。バプテスマを受ける事を報告すると心から喜んで下さいました。

 

 昨年の夏の事です。シンガポールに行った娘が聖書を学び始めて間も無く、「ママいいから聖書を早く読んで」と連絡が入りました。クリスチャンの友人律子コウさんにそれを話しました。○○さんは娘をシンガポールの伊藤世里江牧師先生に紹介して下さった方でもあります。すると、○○さんは聖書を私と娘にプレゼントして下さいました。また、律子さんの紹介で1人読んでいても分からないこともあるだろうと、淀橋教会で毎週行われているBSFと言う聖書のお勉強会に誘って下さり、昨年10月から通う様になりました。

 

BSFのグループは、私以外は全員熱心なクリスチャンです。ノンクリスチャンの私を受入れ学びを共にして下さいました。グループ全員で私の通う教会が決まる事、バプテスマの日が準備される事、家族の事を心から祈ってくださいました。

 

お祈りの通り、船橋バプテスト教会に導かれ2月から入門講座が始まり、私の信仰が確実なものとなっていきました。聖霊の働きを感じるばかりです。

 

そして聖書、御言葉は私にとって尊く、この世で一番大切なものになりました。

 

試練の連続の7年間始めて、光が見えました。

 

私が罪の奴隷から解放されたと思えた1節は、松田裕冶牧師先生に「赦せない相手について、どの様に想いを向けたら良いのか?」御相談した時に教えて頂いた御言葉です。

 

新約聖書マタイ5章44節より

 

『わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し,迫害する者のために祈りなさい。』

 

聖書を読んでいくうちに、赦す事が出来る様になったのです。試練は恵であったと思える様になったのです。主イエス・キリスト様は、まことの神、救いの神である事がわかりました。

 

私は、これまでは世間を憎み恨みました。私は罪人です。主イエス・キリスト様が、十字架において罪を赦し救って頂き、3日目に復活され、今日があることがわかり、神様の限りない深い愛を知りました。心から感謝するばかりです。夫の会社が倒産破産し自殺し、家族が事件に巻き込まれてから7年が経ちます。はじめて、生きる事が楽になり、幸せを感じられるようになりました。

 

振り返れば、私達家族は沢山の恵を与えられていました。お金では買えないもの、優しさや忍耐力、沢山の方々の愛、全ての賜物は試練の御蔭です。功績です。これまで赦せなかった夫に対しても、世間にも感謝が出来るようになりました。全ての事が、神様の御計画と知りました。

 

 神様の導きは、○○さん、○○さん、○○さん、BSFの皆様、そして

 

伊藤世里江牧師先生と出逢い、皆様が祈ってくださり、愛を頂き、船橋バクテスト教会に導かれ、松田裕冶牧師先生の入門講座で御指導いただき、教会の皆様の暖かいお心に愛にふれあいました。本当に感謝するばかりです。これからは、皆様にご指導頂きながら、共に祈り信仰生活を歩んで行きたいと思います。 

バプテスマを受ける事の尊さを感じるばかりです。

 

ローマ人への手紙6章4節より

 

『私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。』

 

  天のお父様、

 

私の今までの行いを悔い改めます。どうか私を全ての罪から清めてください。

主の御計画によって皆様に出逢ったこと、信仰に導かれ、バプテスマを受け、生まれ変わる事、義の中で生きられる事を心より感謝致します。どうぞ、人のお役に立てる様に、私をお使いください。そして見守り共にいてください。

主イエス・キリスト様の御名によってお祈り致します。 アーメン